大腸がんの後遺症による最悪のシナリオ!死ぬよりツライ5つの後遺症とは




母には、病気の転機が3つあります。

1つ目は、55歳のときの大腸がん。

2つ目は、68歳のときの低ナトリウム血症の発症。

3つ目は、74歳のときの大腿骨骨折。

一見、別々に思える病気やケガですが、すべて大腸がんから連鎖したもので本質的に1つの流れだと今なら分かります。

すべての根元となった、大腸がん!

術後は、現在に至るレールが敷かれていたかのように断ち切れない負の連鎖が次々に母を襲いました。

今回は、その後遺症について解説したいと思います。

 

人工肛門の造設

55歳のあの時に死にたかった・・・

母の口癖です。

あの時とは、21年前に大腸がんの手術をした時のことです。

がんは、大腸のみならず直腸・小腸にも転移。

このため、腹部に人工肛門を造設しなければならなくなりました。

生きるためには、仕方がないと理解できていたとしても、人工肛門をからだの一部にすることは受け入れがたいものです。

母も手術には、相当躊躇(ちゅうちょ)していました。

 

術後、さらに追い打ちをかけるのが人工肛門の管理です。

人工肛門は、お腹に便を一旦プールするための袋(ストーマ装具)を貼って便の管理をします。

9年前、母が要介護になり、僕が代わりに人工肛門の管理をすることに。

そのとき始めて、水様便と皮膚が弱く装具が外れやすいことを知りました。

術後は、母の行動範囲が極端に狭くなっているので常に装具のことが気になっていたのでしょう。

確かに、この状態では長時間、家を離れられないと今では分かります。

人工肛門と引き換えに、命は助かったのだと思っていたのですが、考えが甘かったと今更ながら痛感させられています。

 

栄養失調で入院退院を繰り返す日々

大腸がんで切除した箇所は、大腸だけでなく直腸と小腸半分以上。

食道や胃は無傷ですが、消化器系機能の大半を失ったことになります。

これだけ無くなると、どのような状態になるのか?

食べたものが、20~30分くらいで体外に出てしまいます。

便も、ご飯でさえ消化されずに形を留めているレベルです。

むろん、栄養状態が悪かったと思います。

栄養を補うべく、エレンタールという粉末状の栄養剤を溶かして毎日飲んでいたのですが追いつかなかったです。

そのため、5年前に自宅で高カロリー輸液を点滴するまでの16年間、年に1・2度栄養失調でダウンしては1か月ほど入院する生活を強いられています。

当時の様子は、退院してしばらくは意欲や覇気も感じられるのですが・・・

月日の経過とともに徐々に弱っていき、最後は電池の切れかけたおもちゃのように動けなくなってしまいます。

このサイクルを数えきれないくらい繰り返していたのですから、母は相当つらい日々を過ごしていたと思います。

 

腸閉塞(ちゅへいそく)の症状と食事制限

腸閉塞は、食べたものがお腹で詰まる病気です。

症状は、激しい腹痛とおう吐。

腸閉塞になる原因は、開腹手術によるものが多く、母の場合も大腸がんの手術の後遺症のようなものだと認識しています。

腸閉塞の厄介なのが、繰り返し起こる常習性。

しかも、予兆がなく突然腸閉塞に襲われるといった感じで、いつ何時なるかもしれないという不安が付きまといます。

 

食事制限が仇になることも

腸閉塞を予防するには、食物繊維の多いものや脂っこいものなど消化の悪いものを控える、いわゆる食事制限をしなければなりません。

長年、腸閉塞に翻弄され続け、母が口にしなくなった食べ物はたくさんあります。

肉類、麺類、生野菜は食べませんし、食べられるはずの粉ものや果物さえ口にしなくなりました。

食べないといけないのに、食べられない矛盾。

それでなくても慢性的な栄養不足なのに、腸閉塞を恐れるあまり食が細くなってしまいました。

今では、お粥か軟らかめのごはんにおかずを2~3口、口にするだけです。

食事制限が過ぎると、母のように食べられなくなってしまうので注意してあげてください。

 

「低ナトリウム血症」の発症

低ナトリウム血症が発症したのは、9年前のこと。

母の闘病生活を、要介護に一変させた病気です。

低ナトリウム血症は、血液中のナトリウム濃度の低下により引き起こされます。

症状は、筋肉のひきつり、脳機能障害、けいれん発作、錯乱を経て、最悪は死に至ることも。

母も、重症化していたので昏睡状態に陥って生死をさまよっています。

当時、主治医だった医師からは、病名すら聞けていないので原因が分かりません。

その後、在宅医に聞いたりして水様便が影響していることが分かってきます。

便が常に下痢だと、水分と一緒に塩分も奪われることがあるとのこと。

血液の塩分濃度が低くなるなんて変わった病気ですが、腸が無いことが災いしているのは間違いなさそうです。

後遺症は、右腕の麻痺と過去の記憶の部分的な欠如。

脳にダメージがあったようですが、こちらも原因が定かではありません。

半年間の入院中に、何度もけいれん発作を引き起こしているのでその後遺症だと思います。

結局、退院後も、週3回ナトリウムとマグネシウムを点滴で補う生活が現在も続いています。

 

栄養不良がもたらした「視力の低下」と「骨粗しょう症」

慢性的な栄養失調が、もたらしたもの。

それは、「視力の低下」と「骨粗しょう症」。

元を言えば、栄養失調も大腸がんが要因です。

視力に関しては、母は50歳頃までコンタクトをしていました。

両眼で0.7くらいは見えていたので、生活に支障はなかったと思います。

しかし、術後少しずつ視力が低下。

徐々に見えなくなることに不安を覚えた母は、かかりつけの医大の眼科だけでなく、他の眼科にも通院していました。

しかし、原因は分からなかったです。

術後13年経って要介護になる頃には、右は失明、左もほぼ見えなくなってしまいました。

当時は、栄養不良が視力の低下を招いていたなんて知るすべがなかったです。

 

「骨粗しょう症」もしかり

最後にやってきた骨粗しょう症で、ほぼ寝たきりに。

3年前、大腿骨骨折したとき骨粗しょう症が重症化していることを知るのですが、骨折してからでは後の祭りです。

しかも、ボルトを入れて補強する手術をした後に骨粗しょう症が発覚したので、さらに状態を悪化させてしまっています。

骨粗しょう症が原因の骨折で怖いのは、身体障害、強いては寝たきりに直結する可能性が高いこと。

しかも、同じような骨折を繰り返すことも稀ではないようです。

母も、大腿骨骨折したあと2度骨折しています。

「視力の低下」と「骨粗しょう症」、この2つに共通することは回復が困難だということ。

加えて、自立度が一気に下がってしまうことです。

寝たきりや目が不自由になってしまうと、生活すべてに制限がかかってしまいます。

 

おわりに

大腸がんの後遺症を、解説してきましたがいかがでしたか?

母は、これらの症状に体力や機能、それに気力も奪われて今や満身創痍です。

この負の連鎖をどこかで断ち切れなかったのかを考えたとき、はじまりの大腸がんで7割がたは現在に至るレールが敷かれてしまったような気もします。

あとの3割、術後運良く良い医師にかかっていれば、ここまで至らず逃れられたかもしれません。

これらの後遺症は、あくまで母に限ってなのですべての方にあてはまるものではありませんが、予め分かっていれば防げるものもあるかと思います。

大腸がんは、早期発見すれば治る病気です。

ぜひ、定期的に健康診断を行うことをおすすめいたします。

 

 

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シンイチ
20年間、犬馬車のように結構まじめに働いてきた40代の元リーマン。 長らく会社勤めと在宅介護で消耗しきって、あえなく2年前に介護離職してしまいました。 介護は、それぞれの御家族にそれぞれの事情があります。 現代の社会問題に、このプログを通じて1人でもお役に立てれば嬉しいです。 長年、在宅介護をしている僕だからこそ、あなたに伝えたいメッセージがあります。