両親の介護について考える。奔放な父と生真面目な母




まさか自分が病院のこまごまとしたことや、母親のオムツの取り替えをするなんて夢にも思いませんでした。

おそらく介護をされている人は、皆さんそうだと思います。

今、僕が一番恐れていることは父のこれからです。

今は介護が必要ではありませんが、年老いてさらに頑固になる父親・・

困ったことに父親の辞書に、終活という二文字はありません。

本人は100歳まで生きるつもりですし、もうすぐ82歳にもなろうかと言うのに体は元気そのものです。

父がいくら生きようが勝手ですが、僕は父が嫌いなので本音は関わりたくありません。

死んで欲しいとまで思わないにしても、父の生死についても興味ありません。

しかし若い頃は、法律的に親子の縁が切れるようなら切りたいと真剣に思っていた時期もありました。

 

父の性格は猪突猛進型、一旦思い込めば周りが見えなくなるタイプ

父は、内弁慶で外面(そとずら)が良く、家族にとっては良い夫、親ではありませんでした。

父の兄弟や、赤の他人の言う事は信用するのに家族の言うことは全く聞かない、全て却下です。

挙句、裏切られて失敗するのを何度も見てきました。

たちが悪いのは、失敗を失敗だと思わないアホさ加減です。

母方の祖母は、父がよっほど変わっていたのを面白がっていたようで母に「あれは焼かんと治れへんわ」と言っていたそうです。

方言で分かりにくいですね。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」という意味です。

結局治らないと言う事なんですけど(笑)

 

失敗を認識しないのだから、同じことを繰り返します。

その「とばっちり」は家族にくるので、いつも頭を打つのは本人ではなく家族です。

そんな家庭だから、幼いころから気苦労が絶えませんでした。

僕も弟も「石橋を叩いて渡る」慎重すぎる性格は、おそらく父の影響が大きく災いしているのかもしれません。

 

現在の父は、見守りが必要な状態

昨年、車の免許返納させるために、まず脳外科に無理矢理連れて行きました。

その時の診断結果は加齢によるもの忘れのレベルで認知症ではありませんでした。

しかし、この一年父を見ているとやはり危なっかしくて仕方ないです。

オーブントースターやレンジに、食べ忘れがあるのはしょっちゅうです。

うちは、食パンをフリーザーに入れて冷凍保存しているのですが、先日食パンを食べようとフリーザーを開けると焼いた食パンが入っていたので驚きました。

父の食べ忘れですが、翌日に食べようとでも思って再度冷凍したのでしょうか?

焼いてしまった食パンを、もとの場所に戻して冷凍しても初期化される訳でもないですし、怒りを超えて笑いそうになりました。

ただ灯油ストーブやガスコンロの消し忘れは、「忘れていた」では済みません。

注意するとムキになって怒ります。→そして口論

これがエンドレスに続く訳ですからほんと嫌になります。

 

他人様に迷惑はかけられない

今の季節、こんなに寒いのにもかかわらず日中の半分は外出しています。

畑か自分の食べる惣菜などをスーパーに買いに行くか、もしくは親戚とおしゃべりしているのだと思いますが、一日まるまる自由時間です。

車を廃車にしているので、車による事故のリスクだけはひとまず回避しましが、それでも不安は尽きません。

父は、「ひとりで暮らした方が楽」だとよく母に言っているそうですが、もし母がいなければ、僕も父とはこの先一緒に居たくないと思っているので、その意味ではお互いの考えは一致しています。

ただ現実問題として父の一人暮らしで一番心配なのが、火の取り扱いです。

不注意で火事になり近隣に燃え広がったら保障なんてできません。

降りかかる火の粉を払いのけるどころか、火の粉が大き過ぎて僕自身が全焼してしまいかねません。

家が畑のど真ん中にある一軒家で、もし火事になっても問題なければ心置きなく父から去れるのですが、この一年父を見ていて放っておく訳にも行かずほんと悩ましいです。

さらには、車を廃車したのにまだ諦めていないようでクスぶっています。

自動ブレーキがどうとか言っているようですが、調べても自動ブレーキ付き機能の軽トラなんてないですし、もしあったとしても絶対ダメです。

この父に最期までお付き合いできるか?

ほんと嫌になります。

 

母の性格は、几帳面で女性にありがちな心配性

若い頃は、面倒くさかったので母の話はほとんど聞いてあげられませんでした。

7年前に大きく状況変わって介護が必要になるまでは、徐々に視力をなくしていたようですが、普通に家事もしていましたし、歩いて買い物にも行っていました。

万歩計の歩数が励になっていたようで、遅い晩飯食べている隣で、

「今日はスーパー2件ハシゴして7.000歩も歩いてん」

みたいなことを報告してくるのが日課でした。

いつだったか、お金の判別つきにくいと言っていたことがありました。

「買い物の時、お釣はどうしてるの? 」

と、尋ねるとなんとなくカンだと言っていました。

「死ぬまで左目、もてばいいんだけど」 

とも言っていました。

 

介護が必要な体になって、はじめて母の足をみて驚きました。

足の爪が驚くほど変形していたのです。

見えなくて爪が切れなかったのでしょう。

若い頃から仕事だけ、自分だけで精一杯で母親に無関心だった自分が情けなかったです。

ニュースを見ながら晩飯を日課にしていた僕に、週一度だけドラマ観せて欲しいと、「渡る世間は鬼ばかり」を楽しみにしていた母。

渡る世間も万歩計も今の母の記憶にはありません。

 

当たり前の事なのにありがとうと感謝の言葉

母が「死にたい」と口癖のように言うようになって7年経ちます。

今でこそ「死に損ないはなかなか死ねないよ」と言って軽く流していますが、長い間この重い言葉を受け流がせず、聞くたび疲労が蓄積されていくようでした。

 

介護が必要な身体になった頃は、痙攣(けいれん)を頻繁におこしていましたので、苦しさとそれに視力と右手の自由が無くなったショックで、生きていても仕方ないと思っていたと思います。  

あれから今まで、体が不自由になる一方ですので常にその思いはあると思いますが、現在は「僕の負担になりたくない」「これ以上迷惑かけたくない」という思いが強いようです。

なので寝ていても、車椅子の時でもわがままは一切言いません。

それに今は僕を気遣う余裕もあります。

「世話かけるな」

「ありがとうな」

一日何度となく聞く母のありがとうの感謝の言葉です。

 

これからの生活をどうやって充実させるかを考える/まとめ

僕の両親はそれぞれに問題があって、自身で終活をして人生の最終調整できそうにありません。

父のようにゼンマイが切れた時が死を迎える時、片道切符で行けるところまで行くような単純な思考ならいいのですが、普通の人はそうはいきません。

人生の広げた風呂敷を畳むことは、最後まで自分らしい人生を送るために必要なことだと思います。

母が大腿骨骨折による半年の入院から退院してちょうど1年です。

同時に介護離職して専業主夫のような生活が始まりましたが、僕は母に残された時間をできるだけ有意義に過ごしてもらいたいと思っています。

母が自身で人生の最終調整できない分、少しでも補佐できればと思っています。

 

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ABOUT US
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シンイチ
20年間、犬馬車のように結構まじめに働いてきた40代の元リーマン。 長らく会社勤めと在宅介護で消耗しきって、あえなく2年前に介護離職してしまいました。 介護は、それぞれの御家族にそれぞれの事情があります。 現代の社会問題に、このプログを通じて1人でもお役に立てれば嬉しいです。 長年、在宅介護をしている僕だからこそ、あなたに伝えたいメッセージがあります。