会社を辞めた途端に、母親が亡くなってしまった!
不謹慎かもしれませんが、これが介護離職する前からよぎっていた最悪のシナリオです。
しかし、それは取り越し苦労で済んだよう。
これまで色々なことがありましたが、どんな形であれ母が生きていることに安堵しています。
しかし、退職する前には思いもしなかった問題も。
今回は、会社を辞める前には想定できなかった現在の状況や心境の変化を紹介しますので参考にしてみてください。
介護負担が増すことに対しての認識が甘かった

要介護の母を、規則正しい生活を送らせようとするとそれなりに大変です。
起床は、6時過ぎ。
おむつ交換、ストーマ装具の便出し、車いすに移乗してから食事介助。
これら起床介護が終わるころには、7時半を過ぎています。
しかも、この一連の介助は1日幾度となく行わなければなりません。
その他にも、尿漏れ時の更衣介助や訪問サービスの対応もあるのでやることは途切れなくあります。
さらに、掃除、洗濯、食事の準備など諸々の家事をしていると、1日なんてあっという間です。
介護離職しても多くのケースで負担が増すことを想定しておこう
介護離職するうえで、想定しておかなければならないこと。
それは、親の身体機能や認知機能がいつまで維持できるとも限らないこと。
母も、骨折や拘縮(こうしゅく)を発症してADLの低下を強いられています。
劇的にADLが低下したのは、認知症の症状が出た1年前。
噛む力が急激に落ちて、介助拒否をするようになってからです。
この時を境に、介護負担も以前とは比較にならないほど増しました。
特に、食事介助は1時間かけても10口程度しか食べさせることができなくなったため、食事の回数を4回に増やして対応しています。
この食事介助が、いつまで続くか・・・
考えただけでも地獄です。
今となっては、仕事と両立してある程度介護サービスに委ねた方が良かったと思っています。
ソリの合わない父親との同居の限界
母の介護以上に、奔放な親父との同居がしんどいです。
こんなに介護が大変なのに、見て見ぬふり。
まるで、どこか違う世界で起こっているかのような素振り。
一切関知しない、傍観者そのものです。
少しでも手伝ってくれたら、もう少し働けたのではないかという思いもあるだけに、
「お前は、人の心があるのか!」
と言いたくもなります。
僕からすると、全てを押し付けられ、今では親父のごはんも作らなければならない・・・
まるで、体の良い家政婦です。
家政婦ならお金がもらえますが、逆に僕が家計を支えている。
考えれば考えるほど、怒りが増すばかりです。
寝転がって、ごはんを待っている姿を見るだけでも腹立たしい(# ゚Д゚)
とにかく、親父の仕草、行動ひとつひとつにイライラします。
そもそも介護離職するまで、ほとんど会話がなかったソリが合わない親子です。
今更、親父に対して何の期待もしていませんが、それでも働いていた頃は見なくて済んだことが見えてしまいます。
親父は、一人でのんびり暮らしたいのが本音。
僕が、母を連れて出て行きさえすればすべて上手くいくと思っている節があります。
僕一人だけなら、こんな家すぐにでも出てやるのですが・・・
母を連れて出るとなると、そんな甲斐性もなくにっちもさっちもいかない日々が続いています。
距離感が近くなり過ぎると、さらに関係が悪化することは分かっているのですが、これがなかなか難しいです。
社会のつながりや世間の動向に鈍感になる
この6年間で、僕自身にも心境の変化がありました。
社会とのつながりが無くなっても平気ですし、世間の動向にも関心がなくなりました。
すっかり家庭のことに目が向いてしまって、良くも悪くもモノの見方や考え方も変わったように感じます。
今では、暗いニュースばかりなのでテレビもほとんど観ていません。
引きこもり状態が、続いているからでしょうか?
自分の世界で、日々過ごしていると言った感じです。
最近、驚いたことは少し前に1ドル150円台になっていたこと。
仕事柄、この20年のあいだのドルとユーロの動向をチェックしていたこともあって、あまりの円安にビックリです。
同時に、これだけ円安になると扱い品目が千以上あった会社だけに顧客の理解が得られるのか、考えただけでもゾッとします。
それと金相場。
金属パーツに、金メッキを施していた商品もあったので金相場にも敏感でした。
僕が入社した20数年前は、確か2.000円くらい。
会社を辞めた頃は、6.000円台。
知らない間に、今や1万円に届きそうです。
浦島太郎になりそうで怖い・・・
感覚がマヒしているのか、鈍感になっているのかは分かりません。
しかし、これだけ感覚がズレると、たとえ会社復帰できるチャンスがあったとしても使い物にならないと思います。
心身ともに疲弊したうえに、やりがいを見いだせなくなる

ちょうど、1年前は在宅介護に限界を感じていた頃。
母の介護にやりがいを見いだせなくなったのは、認知症の症状が出てからです。
おそらく、意思の疎通が困難になったことが大きかったのではないかと。
認知症だからと頭では理解できても、コミュニケーションが困難になっていくのを間近かで見るのは辛いものです。
それに介護拒否。
介助しようとすると、興奮して叫びまくるので手が付けられない状態に。
そのうちに、終わりが見えない日々に疲れ切ってしまいました。
対応に苦慮する精神的な負荷は、計り知れないもの。
精神的苦痛が、一番堪えます。
幸い、今年に入った頃から大きな声をあまり出さなくなったのがせめてもの救いです。
しかし、一度切れた気持ちは戻りそうにありません。
誰のために何のために介護しているのか、今でもやりがいを見いだせないままです。
介護離職する前は介護に専念する覚悟を持って臨んでも、今となっては在宅介護の大変さを思い知らされています。
経済的に困窮する恐怖!途中で施設に舵を切ることさえできなくなる
退職する6年前なら可能でも、今は経済的に施設に入れることは難しいです。
原因は、やはり収入が途絶えたこと。
それに、これまでの生活で貯蓄を減らしていることもあります。
当然ですが、収入がなくなれば貯蓄は目減りする一方です。
今後も、介護度や医療依存が高くなるにつれ出費も増えるでしょうし、親父も今は元気ですが近い将来は分からない不安要素もあります。
現状を変えるために、施設に入れたいと思っても路線変更も許されない状態に、このままいくと精神的にも追い詰められそうです。
先々のことを考えると、頭が痛い・・・
先立つものがないと、何も出来ないのが介護です。
こんな当たり前のことを、退職前に意識しなかった自分はどうにかしていたと、認識の甘さを痛感しています。
仮に、今の僕が退職前の自分にアドバイスするとしたら
介護が、長期になること。
貯蓄と退職金では、どうにもならないこと。
10年後に、今以上に困窮してしまう可能性があることを伝えて、もう少し仕事を頑張れと言いたいです。
終わりに
介護離職後の、現状を変えられない状況や現在の心境について紹介させていただきましたがいかがでしたか。
我が家の現状を一言で言うと、ジリ貧です。
おそらく、介護離職した人の中には僕のように今後の生活設計ができずに後悔している人も多いと思います。
なぜ、こんなことになってしまったのか!?
仕事を継続する余地はなかったのか?
改めて考えると、自分ひとりで決めてしまったので余地はあったのかもしれません。
僕の失敗した経験から、自分しか介護する人がいなくても、ひとりで決めずに介護経験者など適切な人に相談して、できるだけ仕事を継続する道を探すようにしてください。
身近に経験した方がいない場合は、ケアマネや地域の地域包括支援センター、もしくは市区町村の高齢福祉課などの窓口で相談すると良いでしょう。