介護離職をして、早いもので6年。
会社を辞めて、良かったと思うことが3つあります。
1つは、介護に専念できたこと。
どんな形であれ、今も在宅介護が継続できることに感謝しています。
2つ目は、4年前に火事を未然に防げたこと。
原因は、父親のガスコンロ消し忘れ。
焦げ臭い匂いがするので台所に行ったときには、鍋から炎が上がっていたのであわや大惨事です。
本人が戻ってきたのが1時間後でしたので、僕がいなかったら火事は避けられなかったと思います。
3つ目は、減酒したこと。
僕とってお酒は、気持ちよくさせてくれる魔法の水。
精神的支柱、精神安定剤のようなもの。
自分自身、お酒で早死にするかもと思いつつ、全てを忘れさせてくれるお酒の魔力には逆らえなかったです。
今回は、アルコール依存の過去とどのようにして減らしたかをお話したいと思います。
減酒にチャレンジしようと思っている人は、ぜひ参考にしてみてください。
目次
仕事と酒に溺れる日々
恥ずかしながら、僕は仕事のストレスをお酒で紛らわせる生活を長年してきました。
40歳手前までは、1年365日お酒を呑まない日はなかったです。
会社帰りは、ほぼ毎日飲み屋に直行。
それも、ぐでんぐでんに酔いつぶれるまで呑んでいました。
「呑んで~呑んで~吞まれて~呑んで~、呑んで~吞み疲れて眠るまで呑んで♪」
河島英五さんの歌そのものです。
休日も、昼から呑んでは現実逃避していたのでアル中まではいかないにしろアルコールに依存していた自覚はありました。
なので、お酒の失敗談はいくらでもあります。
目覚めたら、終着駅の三重県の名張駅だった。
目覚めたら、朝方までお風呂に浸かっていた。
目覚めたら、道端で寝ていてあやうく凍死しかけた。
目覚めたら、寿司屋で知らない外語人女性が横でお寿司を食べていた。
目覚めたら、タイ古式マッサージのお店でタイ人女性が横で寝ていた。
目覚めたら、靴を履いておらず早朝裸足で靴屋を探した。
まあまあ、ろくでなしです(-_-;
その他にも、目覚めたらカバンが無かったことも。
盗難にも、2度、3度あっています。
なんといっても、酔っぱらいのおっさんは格好のカモですからね。
翌朝、警察に被害届を出すも逆に説教されるという落ちがつきます。
ここまでくると、悲劇ではなく喜劇です。
原因は仕事のストレス
会社の社風は、能力や実績を重視。
と言えば聞こえが良いですが、ただ社員に厳しかっただけです。
もちろん、努力やプロセスは一切評価してくれません。
結果が、全てです。
営業成績の良い人は重宝されますが、悪い人は風当たりが強くプレッシャーに耐えなければなりません。
加えて、当時は、残業規制は機能しておらず不毛な残業を強いられていました。
特に、営業は誰しも体力の限界まで働き、それでも消化しきれず問題を抱えていた人も多かったと思います。
それに大阪支店には、東京の上層部に告げ口するチクリ屋が幅を利かせていたので職場の人間関係も殺伐としていました。
まあ、勤務しているあいだは一時たりとも心休まることはなかったです。
このような環境下で、毎日13~14時間も会社に拘束され続けると人はどうなるのか!?
不思議と感情がなくなります。
自分に対しても、一緒に働いている人に対しても無関心です。
そして、日々の業務も惰性になっていくので仕事も行き詰っていきます。
なるべくして、見切りをつけて去っていった人もいますし、脱落していった人もたくさん見てきました。
僕が続けられたのは、仕事が合っていたこともありますが、若いころに辞めそびれて辞めたくても辞められなくなったというのが正直なところです。
そして、逃げたくても逃げられない気持ちが酒に走らせたのだと思います。
アルコール依存の半生はを振り返ると・・・
母親が要介護になったのは、僕が30代後半。
この頃から、酒の時間のいくらかを介護に割かなければならなくなりました。
しかし、スキを見つけては呑んでいたので量はたいして減っていなかったと思います。
一時的に、お酒の量が減ったのは介護離職する半年ほど前。
僕が、44歳の頃です。
長らく、体調を崩していたのがその理由です。
加えて、睡眠障害で精神的にも参っていました。
毎日が、ジメッとした陰鬱な気持ち。
常に、身体がだるく気持ちも重かったです。
おまけに、情緒不安定になると夜中でも居ても立っても居られなくなります。
この頃は、生きていてもいいことないし、死んで楽になりたいとよく思ったものです。
減酒は、介護離職してからになります。
仕事のストレスから、解放されたからでしょうか?
意図せず自然に、1日缶ビール3~4本くらいまでに減りました。
意を決して、減酒に取り組みだしたのは1年半前。
50歳になってからです。
「1週間缶ビール6本」と決めてダメ元で始めたのですが、意外と最近まで続いて自分でも驚いています。
減酒するためのマイルール
「1週間缶ビール6本」を実現するために、自分に課したことは5つ。
- アルコールは、缶ビールだけに絞る。
- まとめ買いはしない。
- おつまみは買わない。
- 食事でビールは飲まない。
- 夜にウォーキングをする。
僕が、心掛けたのはお酒の誘惑を減らすこと。
そして、頑張ればできるかもと思える無理のない内容にしたことです。
ビールだけに絞ったのは、お酒や焼酎だと自分で注ぐのでついつい呑み過ぎてしまうから。
その点、缶ビールだと区切れます。
それに、飲酒量の把握・管理しやすくなるので達成感があって励みにもなります。
まとめ買いについては、これまでは350cc24本入りを箱買いしていましたが、6本1パックを週1度に決めて買うことに。
少しずつこまめに買うことで、できるだけお酒を置かない作戦です。
酒のあても、あれば呑みたくなるので買うのを控えました。
食事にビールをお茶代わりしないことも、ダラダラ呑みをやめてメリハリをつけるためです。
ウォーキングは、夜に自宅にいる時間を減らすために始めました。
夜が長いと、誘惑と我慢の葛藤に耐えられそうにないので・・・
これら1つ1つは、些細なことです。
しかし、少しずつお酒の誘惑を減らすことによって、減酒を継続できるようになったのだと思います。
脱げ道を作っておくことも必要
減酒と、引き換えにしたもの、
それは、体重です。
減酒を始めて、1年半で72kg→75kgに。
どうしても我慢できないときは、食べてその場をしのぐことが多かったからです。
それもおなか一杯にしないと、呑みたい気持ちが失せないので夜中でもガッツリ食べています。
翌日、胃もたれして食欲がなく・・・
体に良くないのは分かっているのですが、飲酒を抑えるには食欲を満たすしか手立てがない現状、体重を犠牲にした形です。
自分に課した5つルールも、ちょこちょこ破っています。
特に、お菓子に目覚めてしまってスナック菓子を酒のあてにすることが多くなりました。
ポテトチップス、じゃがりこ、ジャガビー、オーザック・・・
ポテト系は、酒のあてにピッタリです。
これまでお菓はほとんど食べなかったのですが、年甲斐もなくお菓子にドハマりしています。
「1週間缶ビール6本」さえ守っていれば、自分で決めたルールも破る。
マイルールは破るもの!細かいことは抜き。
減酒は、このくらいの軽い気持ちで取り組んだ方が上手くいくと思います。
おわりに
最近、色々あって1年半ほど続けた「1週間缶ビール6本」を破ってしまいましたが、減酒は現在も継続中です。
減酒をして感じたことは、お酒が弱くなって以前のように呑めなくなりました。
缶ビール3本で、二日酔いしている自分に非常に驚いています。
あとは、3日ぶりのビールの味を覚えたことですかね。
いつものビールなのに、どこか違う感動すら覚える味。
長年かかっていた魔法に解けた気分です。
マイルールは、思い描く将来に導くもの。
継続することで、目標を実現できたり、悪しき習慣を改善できたり、ひいては自分を変えることにもつながります。
ただ、途中で辞めちゃう人がほとんど。
特に、僕のように生きやすくするためだとしても、自分を律するものだとなおさらです。
辞めないことが1番大事と心得て、これからも続けることが肝要かと。
この記事を読んで、断酒は無理でも減酒ならやってみようと思われる人もいるかと思います。
ぜひ、自分のためのルールを作って減酒にチャレンジしてみてください。