55歳のあの時に死にたかった・・・
母の口癖です。
あの時とは、21年前に大腸がんの手術をした時のことです。
人工肛門と引き換えに、命は助かったのだと思っていたのですが、これまでの闘病生活を振り返ると考えが甘かったと今更ながら痛感させられています。
術後は、現在に至るレールが敷かれていたかのように断ち切れない負の連鎖が次々に母を襲いました。
すべての根元となった大腸がん!
今回は、その後遺症についてお話ししたいと思います。
人工肛門の造設
母も、大腸のみならず直腸にも転移。
すべてを切除しています。
そのため、腹部に人工肛門を造設しなければならなくなりました。
生きるためには、仕方がないと理解できていたとしても、術後に人工肛門をからだの一部として受け入れるのはつらいものです。
母も手術には、相当躊躇(ちゅうちょ)していました。
「そこまでして生きたくない」と言う母に、僕が後押しして手術をさせた格好です。
術後、さらに追い打ちをかけるのが人工肛門から出る便の管理です。
人工肛門は、お腹に便を一旦プールするための袋(ストーマ装具)を貼って管理するのですが、慣れない装具を扱うことに悲観される人もいると思います。
9年前、母が要介護になり、僕が代わりに人工肛門の管理をするようになって、水様便と皮膚が弱く装具が外れやすいことを知りました。
要介護になるまでの12年間は、買い物、通院も1人で行って普通に生活していましたが、術後は母の行動範囲が極端に狭くなっているので常にお腹の装具のことが気になっていたのでしょう。
確かに、この状態では長時間、家を離れられないと今では分かります。
栄養失調で入院退院を繰り返す日々
大腸がんで切除した箇所は、大腸、直腸と小腸半分以上。
食道や胃は無傷ですが、消化器系機能の大半を失ったことになります。
これだけ無くなると、どのような状態になるのか?
食べたものが、20~30分くらいでストーマ装具のパウチに出てしまって、ご飯でさえ消化されずに形を留めていることがあります。
当然、これでは自力で栄養摂取ができません。
栄養を補うべく、エレンタールというとてもまずい栄養剤を母は毎日我慢して飲んでいましたが、これでは追いつかなかったです。
そのため、5年前に自宅で高カロリー輸液(エルネオパ)を点滴するまでの16年間、年に1・2度栄養失調でダウンしては1か月ほど入院する生活を強いられています。
退院してしばらくは、意欲や覇気も感じられるのですが、月日の経過とともに徐々に弱っていき最後は電池の切れかけたおもちゃのように動けなくなってしまうのですから、母は相当つらい日々を過ごしていたと思います。
つらい腸閉塞(ちゅへいそく)の症状と食事制限

腸閉塞は、食べたものがお腹で詰まる病気です。
腸閉塞になる原因は、開腹手術によるものが多く、母の場合も大腸がんの手術の後遺症のようなものだと思っています。
腸閉塞の厄介なところが、繰り返し起こる常習性。
しかも、予兆がなく突然腸閉塞に襲われるといった感じで、いつ何時なるかもしれないという不安が付きまといます。
腸閉塞の症状は、激しい腹痛とおう吐。
本人も辛いと思いますが、その度に入院を余儀なくなれるので家族も大変です。
食事制限が仇になることも
腸閉塞を予防するには、食物繊維の多いものや脂っこいものなど消化の悪いものを控える、いわゆる食事制限をしなければなりません。
長年、腸閉塞に翻弄され続け、母が口にしなくなった食べ物は結構あります。
肉類は、ほとんど食べませんし、食べれるはずの果物さえ口にしなくなりました。
それでなくても栄養摂取に限界のある体なのに、腸閉塞を恐れるあまり食が細くなってしまったのです。
今では、お粥か軟らかめのごはんにおかずを2~3口、口にするだけになりました。
食事制限が過ぎると、母のように食べれなくなってしまうので注意してください。
「低ナトリウム血症」の発症
低ナトリウム血症の発症は、9年前のこと。
母を要介護に、闘病生活を一変させた病気です。
この病気で半年の入院を強いられ退院した時には、なぜか右腕・右手の麻痺と過去の記憶の半分くらいが欠如していました。
当時、医師に聞いても、どうやら脳にダメージがあったのだろうと曖昧な回答で理由がはっきり分かりません。
発症後は、週3回点滴でナトリウムとマグネシウムを補う生活が現在も続いています。
低ナトリウム血症とは、電解質異常の1つで血液中のナトリウムの濃度が低下してしまう病気です。
症状が重症化すれば、筋肉のひきつり、けいれん発作、昏睡に陥り、ついには死亡してしまうこともあるようで、母も、数日昏睡状態になり生死をさまよっています。
血液の塩分濃度が低くなるなんて変わった病気ですが、母の場合は下痢の影響で大量にナトリウムが体から奪われるのが災いしているようです。
普通に元気な人でも、下痢やおう吐が続けば大量にナトリウムを喪失するので、この病気に一時的に陥ることがあるようなので注意してください。
大腸を切除したことによって、常に下痢状態なのが原因だとすると、低ナトリウム血症も大腸がんの後遺症だと言っていいと思います。
「視力の低下」と「骨粗しょう症」
慢性的な栄養失調がもたらしたもの、それは「視力の低下」と「骨粗しょう症」。
元を言えば、栄養失調も大腸がんによるものなのでこれらも大腸がんの後遺症のようなものです。
母は、50歳頃までコンタクトをしていました。
両眼で0.7くらいは見えていたので、生活に支障はなかったと思います。
しかし、術後、徐々に見えなくなることに不安を覚えた母は、かかりつけの大学病院の眼科だけでなく、他の眼科にも通院していましたが視力が低下していく原因が分かりませんでした。
結局、術後12年経って要介護になる頃には、右は失明、左もほぼ見えなくなっています。
今となっては、慢性的な栄養失調が原因だったと分かるのですが当時は知るすべがなかったです。
「骨粗しょう症」もしかり。
3年前、大腿骨骨折したときに初めて骨がスカスカでひどい骨粗しょう症だと言うことが判明したのですが、そのときすでに遅そしです。
術後、骨がくっ付かずリハビリどころの状態ではありませんでした。
骨を強くする治療にフォルテオという皮下注射を2年のあいだ毎日打ったのですが、その後も、右腕、右足を立て続けに骨折しています。
「視力の低下」と「骨粗しょう症」この2つに共通することですが、
一旦なると、回復が難しいこと。
生活すべてに制限がかかるレベルで、自立度が下がることです。
確かに、目が見えなくなると考えただけでも辛すぎますし、骨粗しょう症の延長線上には寝たきりになる可能性があることを認識しておいた方が良いかと思います。
おわりに

母の負のターニングポイントが3度あるとするなら、21年前の大腸がん、9年前の低ナトリウム血症、3度目が3年前の大腿骨骨折です。
大腸がんで闘病生活になり、低ナトリウム血症で要介護、大腿骨骨折でほぼ寝たきりになってしまいました。
はじまりの大腸がんは、母が定期健診を怠っていたので防ぎようがないですが、大腸がんの手術をした時点で7割は現在に至るレールが敷かれてしまったような気もします。
あとの3割、術後運良く良い医師にかかっていれば、ここまで至らず逃れられたかもしれません。
この負の連鎖をどこかで断ち切れなかったのかを考えたとき、これらのことに気付けるとしたら長年かかりつけ医だった大学病院の主治医しかいないからです。
いずれにせよ、今となってすべてあとの祭りです。